コラム

2016.06.28

講衆に聞く:中堅の本音!?

今回お話を伺うのは、中堅あるいはベテランともいうべき、アラフィフのお二方です。
奇跡的に誕生日が全く同じ日ということでキャッキャしている、かわいいおっさん2人です。

以下、
な:なべちゃん
よ:よっしぃ
は:はたぼん(コーディネーター)

は:電車好きですよね。お二人とも。

よ:うん、まあ、好きやなぁ。

は:この前、大阪駅に出演した時(注・大阪駅構内のイベントに壬生六斎が出演しました)も、ホームに向かってカメラ構えたはりましたもんね。

よ:ああハハ、あれは、ちょっと珍しい電車が入ってくるとこやったから。

は:なべさんに至っては聞くまでもなく、筋金入りの鉄ちゃんという。

な:そやけど、おれは乗る方やで。

は:よう旅行行ったはりますよね、奥さんとね。仲いいですよね。

な:いやいや、美味いもん食べにね。昔、仲間と鈍行で旅行して、車内でずっと食べて呑んで。あれは楽しかったなあ。

は:さ、そんなことはともかく、六斎の話をして下さいよ。ベタに、入会のきっかけなど、お一人ずつ。

な:兄貴も一緒にやっててん。おれは14歳、中3の時入った。ちょうど綾傘鉾が復活した頃。ほんで、8月に呼び出されて、「何すんねん」思て行ったら、それが六斎やって。

は:はあ、六斎はほとんど知らんかったと。壬生にお住まいでもなかったんですね。

な:岩戸山からもうちょっと南の方へ行ったとこに住んでてん。

は:よっしぃさんも壬生出身ちゃいますよね。

よ:そうそう、元々時代祭の担当学区に住んどって、鼓笛隊は一通りやったことあんねんけど。ほんで、近所の人が先綾傘に入ったはって、その人と知り合いやったから、誘われて、フラ~ッと。

は:綾傘から入らはったんですね。やっぱり六斎はご存知なく。

よ:そやなあ、まあ京都に居ながら、全く未知の世界で、ハハ。

は:入ったら、やっぱりまず四ツ太鼓からですか。

な:そやね。先輩の家で練習したりとか。月2回程、歌(注・六斎の演目は口唱歌で覚えます)の会があったりとか。

よ:おれは四ツもちょっとやってんけど、全然あかんかった。鉦もなんか早いし、よう分からんかって。入会した時、もう20歳位やったし。

は:ほんで、獅子の方へ進んでいかはるわけですね。

よ:たまたままあ誘ってもらって、「ああ、ほなやります」いうことになって。やってみたら難しいねん! 逆立ちも、袋(獅子の被り物衣装)かぶったら全然でけへんし。ほんで、六斎連合会の獅子舞講習会で、他所の団体の人の背中借りたりとか、その時に「こう腰をキュッと引くねん」てコツを教えてもらったりとかして。ほんでまた、他所のやつ見してもうたら、碁盤に乗ってるやんか! 「ああ、あれに乗らなあかんねや」て。

は:そっか、六斎知らんと入らはったから、そもそも知らんかったんですね(笑)

よ:そうそう、それからちょっとずつ練習して、最初三段、やっと五段と乗れるようになっていって。そやけど、今でも難しいな。真っ直ぐ足伸ばしてるつもりでも、いがんで見えるし。どこでやっても、その場その場で必死やで。

は:いやぁ、至って軽々とやってらっしゃるようにお見受けしますが。獅子の子が言うてましたよ、「あの人獅子方で一番年長やのに、いつでも『いけるやろ』言うて、全然疲れ知らずに技しまくらはるから、付いていく後輩が大変や!」て。でも、そうやって楽しそうに続けたはるのが励みになりますよね。なべさんも、伝統功労者の賞を獲らはった時の挨拶で、「六斎は辞めようと思ったことが不思議と一度もない。会社は何度もあるけど」て言わはったの、僕すごく印象に残っています。

な:ハハ、そんなん言うたかな、もう忘れた。でも、確かに辞めようとは思ったことないわ。

は:最後に、何か課題とか、今後のことを語って下さい。

よ;出張が大分減ってるから。昔は、例えば西陣織物会館に毎月出演があって、出番を待っている間に獅子の袋の中で鉄輪覚えたりとか出来たけど。

な:場数がね、踏めると、やっぱり実力もついてくるし。インターネットからもっと申し込みがあったらええのに。出張の様子、例えば祝賀会に出演とかそんなん多いやん、そういう場面を依頼者の承諾を得て、一部写真掲載してみたらどう。どういう感じか具体的に伝わるやろし。

は:なるほど、やってみます(と言いつつ、既にこの提案を受けてから何度か機会があったのに、結局ドタバタして実現できておらず、ゴニョゴニョ……)。お忙しい所、ありがとうございました。

2015.06.06

講衆に聞く:ねーちゃん

「講衆に聞く」第三弾は、ねーちゃんです。

――今回は“ねーちゃん”という呼び名ということで。
ね(→)ー(→)ちゃんな。わしの好きな方(ね(↑)ー(↓)ちゃん)とちごて。  ※矢印=イントネーション

――六斎はいつからやったはるんですか?
二十五歳になるかならんか位の時。東京から帰ってきて、その後。それからは一度も抜けることなく、ずっと続けてやってる。

――なんで入ろうと?
元々わしは好きやったんや。子供の時分から見てて、「ああ、ええもんやなあ」言うて、興味は昔からあったんやけども、「誰でも出来へん。やれる人は限られてる」と勝手に思い込んでて。そしたら、うちの父親と友達の人(講衆)で、わし自身もよう知ってる人が、「かまへんで。おいで」言うてくれはって。

――ねーちゃんは壬生狂言もやったはりますけど、そっちもその時に入らはったんですか?
それは後。六斎やってたら、「笛吹ける奴おるで」いうことで、おんなじように六斎と狂言両方やってる人に引っ張られてな。ほんで、狂言には小学校からの同級生もおったし。まあ、そういうことで、六斎やってへんかったら狂言もやってへん。

――六斎と狂言を両方やってる人は、当時結構いはったんですか?
いや、わし入った時はもうほとんどおらへんかった。それ以前でも、兼ねてやってた六斎の人は大概囃子だけ、笛とか鉦とか太鼓やらをやったはった。わしみたいに色んな役もやったりする人はあんまりいはらへんかったように聞いてるけど。

――大変なことはありましたか。

まあな。そら入った当時は大変やったで。三十超えて入んのなんか、わし一人や。それでも小さい子らと一緒になって斬られ役とかな、一番下のその他大勢の役からやっていったがな。ほんだら、まあ「真面目な人や」いうことで段々信用してもうて、気ぃついたら今もう、わしら一番上の世代やで。まあ好きでやってることやしな。

――三十超えてからやと、芸やら覚えていくのも苦労しはったんちゃいますか。
そやなあ。そやから、六斎の場合、上の人に歌教えてもらうやんか。ほしたら、それを手書きで文字に起こしてな。それ以前、なんにも書いたもんがなかったさかいに。今みんなに配ってる歌詞の紙あるやろ。あれあれ。後はもう繰り返し練習やなあ。うちのガレージでもやったわ、「祇園ばやし」の太鼓とか。

――もっと曲を教えてほしいていう若手の声がありますが。
うん、これからな、定期的に練習会しょうとは企画してんねや。日ぃだけ先決めといてな。来られる人は来てくれいうて。ほんで、よう覚えてる人で、よう練習来てる人にどんどん出番を与えていくようにな、もっていけたらええなあて。結局みんなの都合合わせるだけで時間ばっかりかかるさかいな。

――それぞれ忙しいですからね。大体一番忙しいのが、地域の役員を数々兼ねていらっしゃるねーちゃんで。
なんでえな、そないいうほど、もうやってないで。ああいうのも、子供出来てからやなあ。PTA引き受けたんが最初で。それからまあ、「あれもやってくれへんか」いうて回ってくる。やっぱり頼まれたら断りにくい人とかおるやろ。可愛らしい奥さんとか。そういうたら、この前もな……

――今日はありがとうございました!

2015.03.21

講衆に聞く:若手インタビュー(後半)

は:まあ、結局人が足りひんっていう話ですね。祇園囃子でも、他所の囃子方は人員が充実しているから、交代で演奏の負担を軽減したりしていて、少ない所でもうちの倍の実働はいるし、下手したら4倍の規模の鉾もある。ただ、一方で六斎の方では、他所の講から「壬生さんは若い人が多くて羨ましい」という声も聞かれる。

健:確かに、六斎はどこもそんな感じかもしれませんね。

は:人材の確保っていうのが何と言っても共通の課題で。壬生も決して安定しているわけでなく、今がギリギリの状態やと思う。

茶:これからますます難しいですよね。ただでさえ人口が減っている中で、それこそスポーツのクラブとかも含めて、いろんな活動団体と少ないパイを取り合っていかないといけない。様々な選択肢から郷土芸能にどれだけ価値を見出してくれるかどうか。なにしろ会社でも人が採りにくい時代ですから。

は:そういう意味でも、抹茶秋さんが六斎に加入したのは大きかった。壬生寺に毎年来てくれはる人など、ぱっと見て「あ、新しい人が入った」というのが分かる訳で、大人でありながらちゃんと「四ツ太鼓」から、正直まだたどたどしいながらもやっている姿には、随分好感をもって受け入れられたと聞いています。

茶:いやまあ、地域貢献ということで、役に立てているなら良かったです。

は:で、次のステップとして、カタもの(カタという太鼓を使った太鼓ものの曲)へ進むわけだけども、そこに至る具体的なレクチャーは、あんまりないかなあ、うちは。つまり、「四ツ太鼓」を会得したら次何やるかというサジェスチョンは公式に行われない。

健:なんとなく「鉄輪」のカ(側打)から入って、見よう見まねでそのほかの太鼓ものをやりますね。

は:少なくとも学校の勉強じゃないんで、テキストがあって順序立ててステップアップしていくということはないし、むしろ“盗め”的なスタンスかな。

茶:はたぼんさんは、どうやって曲を覚えてきたんですか。

は:ぼくの場合は、亡くなったおっしょはんとも呼ぶべき人が、差し向かいで何べんも指導してくれはったから、運よく一通りのことは継承できた。おうちに呼んでもらって、竹の切ったやつで地べたを叩きながらね、一緒に歌いもって。高校から大学の頃やったかな。そのおかげで出番を増やしてもらったりしたわけやけど、でも逆にあの時間がなかったら、この団体自体を続けられていたかどうかさえ自信がない。

茶:こっちから先輩に聞きにくい部分てありますもんね。会う機会も限られているし。

は:やっぱり、時代とともに地域生活における講中の存在感とか、人と人や家と家の距離が変わっていっているから、それに合わせて取り組み方も変わっていくのが自然やろうね。

健:練習は、とりあえずもうちょっと増やしたいですよ。週三回あってもいい。それで、やり方も、もうちょっと一曲一曲、部分部分に限定したりして重点的に。

は:ああ、練習ね。以前実際にあったことやけど、結局一人の担当指導者に絞って、その人にリーダーシップとってやってもらわないと捗らないね、あれは。ひどいときには、「そこは違う」「いや、こうや」みたいに、その場で議論が始まったりとかして(笑)

健:あったあった(笑)ほんでも、やっぱり教えてはほしいんですよね、上の人に。基本は家で個別に準備していくもんだとしても。別に出来たからといって、いきなり出番を増やせというのではなく、先輩から順番に出てもらうのが当然なんですけども、とりあえずレパートリーは増やしておきたい。

茶:太鼓も笛も出来る、ユーティリティーな感じで。

は:そうやね。それには、まず歌を歌いながら、少ない人数と近い距離で、楽器も使わずに、とりあえず覚える為の時間というのを作ってっていう、つまりぼくが教わっていたようなやり方が、最初は一番なんちゃうかと思うねんけど。

健:歌、ぼくあんまり分からないんですよね。そら覚えといた方が、内容もよく分かるしいいと思うんですけど。

は:いや、内容とか由来が分かるっていうのも大事やけど、歌の一番の機能は、一緒に歌うことで、同じ“間(ま)”同じ節の“転がし方”を共有できるっていうことでね。だから、歌いながら稽古をする過程で、みんなが“同じ歌”を歌えるっていうことが最も望ましいわけ。そうすることで、息の合った合奏が完成すると。そういえば、ずっと以前、歌だけを練習する会もあったけど、あれ続かへんかったな……。

健:とにかく色々と提案や改善などもしながら、積極的に活動したいですよ。

茶:露出も出来るだけ増やせたらいいですね。

は:なるほど、やる気十分のお二人ということで、頼もしい限りです。――ところで、全然話は変わるのですけど、お二人は結構普段から会話の多い方だと思いますが、共通の話題とかあるのですか。

茶:そうですね、アニメの話なんか割と。

は:ほお、ちなみに今何が面白いんですか。

茶:ぼくは、これ割と賛否両論なんですけど、「艦コレ」っていう、元々ゲームやったやつです。

は:へー、それが一押しだと。保健太郎さんは?

健:エー今期ですか? 今期、なんやろな、ウーン今期……「黒……」いや、ウーン……

は:……まあとにかく、お互いに協力して、壬生六斎を盛り上げていきましょうよ。今日はありがとうございました。

茶:はい、ありがとうございました。

健:今期はねー……ウーン……

以上

2015.02.19

講衆に聞く:若手インタビュー(前半)

「講衆に聞く」第二弾と致しまして、今回は現在20代のお二人にお話を伺います。
ご本人の希望で、ここでは“抹茶秋”さんと“保健太郎”さんとお呼びします。
コーディネーターは、前回と同じくWEB・広報担当のはたぼんです。
(以下、抹茶秋=茶、保健太郎=健、はたぼん=は)

は:二人はそれぞれバックボーンが違って、抹茶秋さんは綾傘鉾の方を小学6年生の頃から手伝ってきて、大人になってから本格的に講中に入ったという――

茶:そうですね、27歳の時ですから、六斎の方はまだ日が浅いです。

は:一方、保健太郎さんは、お父さんも六斎をやっていて、その流れで小学校入ってすぐから入会したと――

健:はい、6歳から続けています。

は:そういう意味では、好対照の二人なんですよね。片や二代目と、片や変則的な経緯の人と。で、入会のきっかけはというと、まあ保健太郎さんの場合は分かりやすい――

健:やっぱり物心ついた時には当たり前に六斎を知っていたし、見ていました。それで、練習を見に行くうちに、なんとなくいつの間にか入っていたという……

は:自然にね。お父さんからも勧められたりとか?

健:いや、それはなかったです。父は何も。“やれ”とも“やってみるか”とも全然。

は:ということは、結局自分がやりたいから続けられているということなんやろうね。そこいくと、抹茶秋さんなんかもまさに自分の意思で入ってきた部分が強いでしょう。なんせ、大人になって、一から六斎覚えていくって、ある程度やる気ないと厳しいやろうし。

茶:まず僕の場合、一時期仕事で東京へ行かなければならなくて、綾傘の方もしばらく離れていたんですよ。それで久々に帰ってきて合流したら、なんか随分変わってるな、という印象で。綾傘の方も新しいことが増えていて……

は:ああ、昔の綾傘鉾の祇園囃子を復元する作業が、ようやく形になって本格的に動き出した時期やったっけ。

茶:そうです。それに、自分もある程度キャリアを積んできて、それでもまだ鉦しか出来ないというのではダメだなあと。

は:そうやねえ、祇園祭の時しか顔出さへんっていうのでは、いつまでも笛やら太鼓に触らしてもらえへん。物足りひんもんなあ。

茶:そうなんです。それで、“あ、これは六斎もやらないと、結局全体のことがよく分からないな”と。綾傘鉾のお囃子や、そもそも囃子方の活動自体も壬生六斎を踏まえて成り立っているわけで……

は:気づかれましたか、そこに。

茶:気づいてしまいました(笑)これはやらなあかんなと。

は:なるほど。いわば、責任感が出てきたわけだ。それは講中にとっていいことですよね。前向きに関わっていく気が湧いてきたということは。

茶:そうなんですよ。ここの所達成感が出てきて、もう“夏楽しいぜ”みたいな! なんか、こっち帰ってきてからなんですけど、周りから、“前より積極的になったよね”みたいなことも言われるんですよ。

健:え、六斎のおかげで!? 六斎すごいな……

は:ちょうどタイミングが合ったのかもしれないね、年齢的にも。あるいは綾傘鉾の祇園囃子の件とかも含めて。今入るべくして入ったのかも。それに、使える楽器とか、出来る曲目とか増えていくと楽しいよね。

健:ただ、後輩が少ないから手が足りない分、「祇園ばやし」の鉦やら「四ツ太鼓」から中々離れられない、っていう悩みはありますよね。

は・茶:ウーン……

〈後半へ続く〉

2014.10.04

講衆に聞く:けいちゃん

今回から“講衆に聞く”と題しまして、講中に在籍している方にこの欄へ登場してもらいます。

最初のテーマは「入会のきっかけ」。
第1回目の今回は、“けいちゃん”へのインタビューを一問一答形式で掲載します。
インタビュアーはWEB広報担当のはたぼんです。

――おいくつで入られたんですか?
12歳やったかなあ。舞台に立ったんは中1の時やけど。先の1年間は稽古して。稽古はお寺(壬生寺)でやったね。先代の貫主さんも六斎で笛吹いたはったし。

――どういう経緯で入られたんですか?
地域の人からうちに話があったんでしょうなあ。戦後、本格的に壬生六斎再開ということで(壬生六斎は昭和13年から20年まで活動を休止)、若中(地域の青年団みたいな自治組織)を通して勧誘活動が行われて、うちの家もその繋がりで色々関わっていたから話が来て、それで自然と入ったような。

――代々やっていたからというのではないわけですね?
うん、おじいさんが狂言はやっていたけどね、六斎は身内がやっていたということはない。

――昭和20年代の壬生六斎はどんな雰囲気でしたか?
人が少なかった。おじいさんらが5、6人と若手の人ら。そやから割とはよからね、“太鼓やれ”言われて上打もやった。笛は持っていたけど、本番ではやってないね。何しろ太鼓ばっかりやらんならんかった。よう上の人からね、“けいちゃん、けいちゃん”て可愛がってもらいましたよ。子供の頃から大人の輪に入っていることが多かったねえ。

――ちなみに、戦時中の壬生はどんな感じだったのですか?
空襲警報がよう鳴って。そしたら近所の、元々映画館やった所の屋上に上ってね、桂の方から飛んできた戦闘機を眺めたり。子供やったこともあって、あんまり悲壮感はなかったなあ。ただ、学校(けいちゃんは朱雀第三小学校の出身)に配給される運動靴が1組に一つずつとかね、物が少ない印象はあった。

――同級生も六斎に入ったんですか?
一緒には入ってないけど、3人位いてた。割とすぐ辞めてしもたなあ。ほんで、普段から仲のいい子らというのでもなくて、六斎の時だけ会うような間で。

――けいちゃんがこれまで続けてこられた理由は何だと思いますか?
義務感みたいなもんかなあ。そもそも入った時もね、“地域のことやから守っていかなあかん”という意識で当たり前に考えていたし。

――地域の役もかなり沢山務められてますものね。
そうやね、そういうのもまあ言うたら、義務やね。

――これからの壬生六斎について一言。
折角舞台に出てもねえ、四ツ太鼓と祇園ばやししか出番がないのでは退屈やろし、なんでも出来るようになってもうて、どんどん役割を振っていきたい。一人一人につき、何か1曲でも見せ場があるようなね。まあ若い人らがようやってくれてるし、年寄は手が足りひん時だけちょっと呼ばれるような形で、見守っていけたらなあというのが理想です。若い人らは、これからも壬生六斎を絶やさへんように頑張って下さい。

――ありがとうございました。

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