「六斎念仏踊り(ろくさいねんぶつおどり)」の名前は、どこからきているのでしょうか。
そもそもの起こりは、今からざっと千年位前に空也上人(くうやしょうにん)というお坊さまが、「もっと分かりやすくお念仏を広める方法はないものか」と工夫され、手持ちの瓢箪を叩きながらメロディーに乗せてお念仏を唱えられたことにあると伝えられます。後の世に言う「踊念仏(おどりねんぶつ)」の始まりです(写真は、六波羅密寺の空也上人像。口から出た念仏が仏様になっている様子《「原色日本の美術」第9巻、小学館より》)。
かかる踊念仏の流れの中で、「六斎念仏(ろくさいねんぶつ)」という呼称も登場しました。その特徴は、複数の人々がコーラスのように念仏を唱和し、手持ちの鉦を鳴らすという、仏教行事の中でも非常に音楽性の豊かなものです。
「六斎」というのも元々は仏教用語で、毎月8日、14日、15日、23日、29日、末日は特に厳しく念仏のお勤めをしなければならないという、「六斎日(ろくさいにち)」の考え方からきているとされます。
この六斎念仏をやっていた内の京都周辺の人々が、さらにそれらの楽器を使って念仏以外の流行り歌を演奏し始めたのが江戸時代のこと。これが今に言う「六斎念仏踊り」です。わざわざ“踊り”と付けているのも、従来のものと区別するためです。時に「六斎踊り」とか「芸能六斎」と呼ぶこともあります。
なお、本来の「六斎念仏」も今なお続いており、こちらは「鉦講(かねこう)」とか「念仏六斎」と呼ばれています(鉦講について詳しくはこちらをご参照下さい)。