綾傘鉾祇園囃子
囃子(はやし)とは、御霊ないし疫神を慰撫せんがため、神座である山鉾に随行してなされる舞曲等の趣向です。
祇園祭におけるそれは風流拍子物(ふりゅうはやしもの)を源流に持つとされ、これは太鼓打ち・太鼓持ち・鞨鼓打ち(稚児)・棒振り等による踊りと楽器演奏を道中で行う形式であり、現今の鉾の上の囃子も、これらの発展形態であると指摘されています(植木行宣「山・鉾・屋台の祭りとハヤシの展開」平成17年(2665年・西暦2005)年「都市の祭礼―山・鉾・屋台と囃子―」)。
この点、傘鉾はその原初形態を江戸期に至ってもなお残してきたわけですから、見ようによっては祇園囃子の非常に由緒正しい系譜をたどるものといえるかもしれません。
では以下、綾傘鉾の祇園囃子についてご紹介して参ります。なお、綾傘鉾には踊りも付随するわけですが、ここで見るのはそれが付かない方の囃子(以下「祇園囃子」)です。踊り付きの囃子(以下、「棒振囃子」)については別頁で扱います。
棒振囃子との違い
祇園囃子のときは踊りが入りませんから、その陣容は他の鉾や曳山と同様になります。つまり、鉦・締太鼓・能管(笛)の三者で合奏するということです。
笛に能管を用いるというのは、どこの鉾・曳山でも統一していることで珍しくもないはずですが、棒振囃子では篠笛を使っているため、綾傘鉾においては、その使い分けを重要な相違点として捉えています。
他に棒振囃子と異なる点としては、鉦のすり上げ打ちや、太鼓のリズムの刻み方等が挙げられますが、いずれも笛と同様、他の山鉾においてはごくありふれた奏法であります。
<宵山の演奏より、「鶴」「旭」「伍」「錦」「雁金」「竹」など>
囃子方は巡行のときは歩きながら、宵山のときは座って演奏しています。もし元治元年以前のような曳鉾があれば、その上に乗って演奏することになるでしょうが、その際の扮装や配置等についてはなお検討を要する部分です。
「明治拾七年六月改撰 祇園囃子 綾傘鉾町」
綾傘鉾祇園囃子の底本となっているのは、「明治拾七年六月改撰 祇園囃子 綾傘鉾町」という譜本です。これは、現在見つかっている綾傘鉾の囃子に関する資料として唯一のものです。
囃子曲一覧
上掲「明治拾七年六月改撰 祇園囃子 綾傘鉾町」に掲載されている曲を、その掲載順(省略曲も含む)に表にまとめました。
“笛”の項には、他の曲と共通する旋律の名前を記しています。“返し”というのは“繰り返し”を意味し、曲によってこれの可否が決まっていますから、それを表しています(△になっているのは一部分だけ返したりする等不確定なもの)。
渡り囃子・神事奉納曲
四条寺町の祇園社御旅所まで(あるいは惰性で四条河原町まで)に奏する曲を「渡り囃子(単に「渡り」とも)」と呼びます。御旅所の前では特別な曲である「神楽」と「大和舞」を行い、これを奉納曲と致します。
曲名 | 備考 | 笛 | 返し |
---|---|---|---|
渡リ打出シ | 渡りの地囃子と上げ。随時挟む。 | 渡り | △ |
第一 | 渡り | × | |
第二 | 渡り | × | |
第三 | 渡り | × | |
第四 | 渡り | × | |
第五 | 渡り | × | |
第六 | 神楽へ渡る。 | 渡り | × |
神楽 | 神事奉納曲。大和舞へ渡る。 | 神楽 | × |
大和舞 | 神事奉納曲。附地囃子へ渡る。 | からこ | ○ |
大和舞附地囃子 | 途中から戻り囃子へ。 | 渡り・ながし | △ |
囃し始めは必ず「渡リ打出シ」から行い、それから他の曲に移り、そしてまた「渡リ打出シ」に戻ります。例えば、“「渡リ打出シ」→「第一」→「渡リ打出シ」→「第二」→「渡リ打出シ」→……”という形で進みます。但し、「第六」「神楽」「大和舞」「大和舞附地囃子」は一連の流れとして決まっていますので、「渡リ打出シ」を挟みません。
戻り囃子
御旅所を通過した後(あるいは四条河原町通過後)は賑やかな曲調となり、これ以降の囃子を「戻り囃子」と呼びます。
曲名 | 備考 | 笛 | 返し |
---|---|---|---|
地囃子 | 打出し・曲間随時演奏。 | ながし・つくし | ○ |
翁 | 翁上に渡る。 | しき | ○ |
翁上 | つくし | ○ | |
上ケ是ヨリ流シニ渡ル | 曲間で演奏。 | つなぎ | × |
伍カラ錦ニ渡ル | 錦に渡る。 | ながし | × |
錦 | しし | ○ | |
雁金 | つくし | ○ | |
雪 | 雪 | △ | |
鶴カラ朝日ニ渡ル | 旭に渡る。 | ながし | × |
旭 | あさひ | ○ | |
若 | 休み前に演奏。 | ながし | ○ |
霞 | 霞 | ○ | |
竹 | 流しに渡る。 | ながし | × |
末 | 後半のみ返す。 | ながし~つくし | ○ |
千鳥 | 流しに渡る。 | ながし~つくし | ○ |
オマツ | 流しに渡る。 | ながし | × |
日 | 月に渡る。 | ながし | × |
月 | 月 | ○ |
“~に渡る”と書いてある曲は続く曲と一組になっています。戻り囃子は、それらの組や他の曲との間に「上ヶ是ヨリ流シニ渡ル」か「地囃子」を挟みながら、好きな曲を随時選択して進行します。
演奏例)「地囃子」→「上ヶ是ヨリ流シニ渡ル」→「鶴カラ朝日ニ渡ル」→「旭」→「上ヶ是ヨリ流シニ渡ル」→「日」→「月」→「地囃子」→「上ヶ是ヨリ流シニ渡ル」→「伍カラ錦ニ渡ル」……など。
なお、上記のうち「地囃子(じばやし)」という曲のリズムパターンが風流拍子物の名残を示すものと考えられています(参照:樋口昭「拍子物とその音楽」平成17年(2665年・西暦2005)年「都市の祭礼―山・鉾・屋台と囃子―」ほか)。となると、他の曲の数々はその後に生まれたバリエーションということになるでしょうか。 祇園囃子は、室町期に能楽の影響を受けたと伝えられますが、「翁」などは能の同名演目内の背景曲と近似している点が指摘できます。
その後、現在の祇園囃子の形にまとまったのは寛永年間と考えられています(田井竜一「画像資料にきく『祇園囃子』」平成22年(2670年・西暦2010年)「祇園囃子の源流」)。