綾傘鉾囃子方年中行事

二階囃子(にかいばやし)

7月1日以降、午後7時頃より4日間程

 切符入り(祭礼開始を宣する町内の行事)以降の祭礼期間中に行う祇園囃子の稽古です。各山鉾町ともそれぞれの会所の二階で行うため、これを“二階囃子”と呼びます。この時は会所の窓を開け放ち、通りにも聞こえるように演奏をするため、稽古といっても半ば本番のような趣を帯びます。

 綾傘鉾の会所は、鉾町である善長寺町(ぜんちょうじちょう)大原神社(おおはらじんじゃ。綾小路新町東入ル北側)境内にあります。他の山鉾のように通り沿いに面していないため、近辺にいても一見してどこからお囃子が聞こえてくるのか分からないのが特徴です(?)。

 最終日前後には立ち稽古として、徒歩巡行や棒振囃子の実地練習を会所の外に出て行います。この点は、傘鉾ならではの稽古風景と思います。

 綾小路新町から綾小路室町までが善長寺町、すなわち綾傘鉾の鉾町です。西隣の矢田町は伯牙山、北西の四条町は凱旋船鉾、残りの周囲の町はその名の通り、(出陣)船鉾、白楽天山、鶏鉾を擁する町内です。東隣の童侍者町は長刀鉾の寄町(よりちょう。鉾町を支援する町)でした。なお、北西にある傘鉾町というのは、もう一つの傘鉾である四条傘鉾の町内です。

宵山(よいやま)

7月14日 宵々々山
7月15日 宵々山
7月16日 宵山

 囃子は、各日午後6時以降より。

 山鉾巡行の前日に、各山鉾町がそれぞれのご神体・懸装品等を各町内にて一般公開し、祭りの情緒を盛り上げる行事です。この行事が近年に至って2日間となり、また3日間となり、それにつれ宵々山・宵々々山などという呼称も登場しました。

宵山の祇園囃子

 綾傘鉾もこの3日間に宵山飾りをし、囃子方は囃子の演奏をします。徒歩巡行である傘鉾には、他所のように上に乗って演奏しうる車がないため、普段は駐車場となっている場所(綾小路室町東入ル南側)の一画に屋台を組み毛氈を敷いて舞台を作り、そこで祇園囃子を公開することとしています。

 また、傘鉾ならではの踊り付き囃子、すなわち棒振囃子(ぼうふりばやし)もこの敷地内で行いますが、こちらは少し場所を要するため、舞台の前に広がって披露することとなります。

 巡行では覆面・衣装姿の踊り手が行う棒振踊りですが、宵山の時は素面・浴衣姿で行います。

 また、巡行の時は「つくし」という曲から唐突に始めますが、宵山ではその前に「おどりのながし」を付け、最初は巡柱(じんちゅう)二人の踊りのみを見せ、中途より棒振りが加わるという、少し長めの形式で行います。

日和神楽(ひよりかぐら)

7月16日 午後10時以降

 翌日の晴天を祈願するため、囃子方が八坂神社の神さんに囃子を奉納しに行く慣習です。かつては洛外の本社まで行ったと聞きますが、今は長刀鉾のみ代表でそれを行い、他の山鉾囃子方は、原則御旅所(おたびしょ。四条寺町)までとなっています。

 綾傘鉾も御旅所へ向かいます。宵山最終の囃子を終えた後、町内を東へ進み、室町通を上り、四条通を東へ行き、帰りはその逆を辿ります。御旅所前では棒振囃子を奉納することにしています。

山鉾巡行(やまぼこじゅんこう)

7月17日 午前9時頃出発
        (帰着は、くじ順により変動)

 各町内から出た山鉾が、列をなして都大路を進みます。順路は、四条通→河原町通→御池通→新町通です。途中、四条高倉東入ル北側にてくじ改め(事前にくじ引きで決めた順番を各山鉾がちゃんと守っているか確かめる慣わし)が、また御旅所前にてはお祓いがあり、ここまでは神事的色合いの濃い雰囲気となっています。

四条河原町での棒振囃子

 それが済むと、厳かな気分から一転晴れやかな気分となり、一同賑やかに祭りを謳歌して進みます。まさしく町衆(ちょうしゅう)の祭典といった風情です。囃子もそれらに対応して、行きしの静かな「渡り囃子」から帰りしの派手な「戻り囃子」へと変化していきます。

 綾傘鉾の囃子もそういう流れで進行します。ただし、それを歩きながらやるところに傘鉾らしさがありますし、さらにその合間々々に棒振囃子を挟むところが、ほかの山鉾にない、傘鉾特有の趣向となっています。棒振囃子のときは道中の囃子を一旦止め、囃子方は立ち止まってその場に展開し、踊り用の曲を3分少々で演じます。

 このような形式は300年程前当時で既に[古例]と称せられ(「祇園会細記」)、また各種画像資料でも、輪になって棒振囃子をしている場面が多数確認できます(代表的なものに「諸国図会年中行事大成」、「(京博本)祇園祭礼図屏風」など)。

 棒振の舞曲は、「前祭(先の祭り)」の本来あるべき巡行順路(四条通→寺町通→松原通)においては、くじ改め、御旅所のほか、旧・大雲院前(四条寺町下ル)、因幡薬師前(烏丸松原)、そして町内で行いましたが、現在は御旅所の後、四条河原町(八坂神社遥拝)、御池御幸町西入ル南側(後援会席)、そして町内(大原神社にて帰町の報告)で行っています(これ以外の場所でも披露していますが、必ずしも定まったものではありません)。

 朝から夏の日盛りを練り歩き、町内に帰ってきたらばすっかり昼下がりを過ぎております。なお、傘鉾は、久しく舁山同様にくじを引き、「山○番」と扱われる慣わしでしたが、近年は7番か15番のどちらかを引かされることになっています。

 四条河原町の交差点では、鉾や曳山がゆったりと時間を使って豪快な辻回しを見せる中、傘鉾はさっと短い時間で軽快な舞楽を披露して曲がります。山鉾の長い行列にこのような趣向がたまに交ざるというのも、先人達の発想のユニークな所ではないでしょうか。祇園の神さんやご観覧の皆様にも昔から面白がってもらえている工夫と思います。

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