壬生六斎念仏鉦講衆

 このページでは、芸能の演目ではなく本来の“念仏”のみを行っているもう一つの講、“壬生六斎念仏鉦講衆(みぶ ろくさいねんぶつ かねこうしゅう)”についてご紹介します。

 なお、鉦講衆は現在集まっておらず、したがって活動の実態はありません。その記憶遺産をここに留め公開するのみです。

 もし、現役の鉦講をご覧になりたい場合は、上鳥羽橋上(南区)へ行って下さい。同講は壬生の鉦講と伝えている歌がほとんど同じですので、かなりイメージが近いものと思われます。

 統括本山の干菜寺や空也堂によると、明治期まではほとんどの村に鉦講があったと記録されているそうですが、現状市内で休まず活動を続けているのは、上鳥羽橋上鉦講中だけになってしまいました。

六斎念仏と六斎踊りの区別

 六斎念仏(ろくさいねんぶつ)は、伝説では空也(くうや)上人が千年程前に創始された“踊念仏(おどりねんぶつ)”を端緒とし、その後、鎌倉期に道空(どうくう)上人が工夫を加えられて“六斎念仏”として一般化・定着するに至りますが、さらに時代が下って江戸時代中頃には念仏以外の曲の演奏が始まり、いわゆる“六斎踊り(芸能六斎)”が登場しました(「壬生六斎とは」のページもご参照下さい)。

 ここで注意して頂きたいのは、六斎念仏から六斎踊りへと“進化”した、わけではなく、むしろ“派生”したと言った方が適切だということです。すなわち、六斎踊り誕生以降も、本流の六斎念仏は存続してきたからです。ここで紛らわしいのは、六斎踊りのことも“六斎念仏”と呼ばわる例が多いこと。それだけ六斎念仏の呼称が深く市井に浸透している証左とも云えますが、説明上は定義した方が分かりやすいので、以下では両者の区別をまず念頭に置いて下さい。なお、六斎踊りの発生は京都近郊(現在の京都市内)でのみ起こった現象ですから、他の地域ではこのような問題は生じません。

 まとめると、京都では六斎念仏は二種類ある、元々の六斎念仏だけをやる方と芸能の演目をやる方、そして、このことは壬生にも当てはまり、ここからは前者の念仏だけやる講を取り扱うということです。

壬生六斎念仏鉦講衆について

 壬生において元来の六斎念仏のみを行ってきた集まりを「壬生六斎念仏鉦講衆(以下、鉦講)」といいます。芸能の演目を継承する壬生六斎念仏講中とは基本的に別組織ですが、両方参加している人もこれまで多くありました。

 常時12軒で組織され、各々毎月幾何かの費用を出し合って活動を維持します。

 講の所有として、掛け軸と念仏鉦、歌の教本があります。この内、鉦と教本は各講衆が預かり、行事の度に持ち寄ります。掛け軸は、導師となる家が保管します。

 2軸の掛け軸には、空也上人の御姿を描いたものと、十三佛を描いたものがあります。前者は空也堂から活動の免許を受ける際に賜ったもので、空也堂八十二世の印が押されています。後者の由来は定かでありませんが、他所の講に残っていないので壬生で独自に所有したもののようです。

 また、空也上人掛け軸の図像下段には表が設けてあり、そのマス目に一つずつ講衆の名を書き入れて、供養する慣わしになっています。

鉦講の基本奉納形式

 鉦講(六斎念仏)は、必ず集団で行うもので、構成員には役割分担があります。すなわち、導師(どうし)と(ざ)です。

 導師は念仏を先導する者、座はそれに付いて唱和する者。いわばリードボーカルとコーラスに相当します。導師は1名ですが、座は複数人おります。これらが掛け合いで節を歌い、また鉦を打ち鳴らすという音楽性の豊かな社会的信仰的行事が六斎念仏です。

 使用する鉦は、芸能と区別の為に念仏鉦と称します。これは「祇園ばやし」の鉦よりも幾分大きく厚みのあるものです。これには紺色の太い組み紐が付いており、座って演奏するときは、この紐の上に寝かせて配置します。叩く得物は丁字型の撞木です。これを使い、凸部面を叩きます。この点、芸能の曲で凹部面を擦るのと異なります。これは芸能の用途に使うのは邪道だからあえて裏面を使うという意図で、表面を使う念仏の方が本来の使用法ということになります。

 奉納中、鉦は常に鳴らしているもので、時に歌が無い箇所では鉦の音だけになったりもします。それだけ鉦と六斎念仏とは密接不可分の関係にあり、鉦こそが主たる楽器ということになります。これこそ“鉦講”と呼ばれる所以です。

鉦講の活動・行事


 鉦講の活動内容には以下のようなものがあります。

名称場所
毎月22日鉦講月当番の家
10月15日十夜講(じゅうやこう)壬生寺
随時お弔い新仏の家
月々の鉦講

 正式な名称は特にありません。“鉦講”というと、普通この活動を指します。

 毎月22日の夜に月当番の家に集まって行います。当番は予め鉦講構成員の12軒で決めておきます。

 当番の家では、仏壇を正面にして導師一人が座し、それを中心として座が馬蹄型に座ります。そして、それぞれが念仏鉦を叩きながら六斎念仏を唱和します。

 仏壇の横には、空也上人掛け軸と十三佛掛け軸を掛けます。

十夜講

 芸能の演目を奉じる壬生六斎念仏講中と合同の行事です。但し、奉納するのは念仏歌のみです。壬生寺にて行います。

 空也上人及び祖先を供養し、本年の無事を感謝する慣わしで、これをもって当年の六斎念仏を締めくくります。儀式が終わると、足洗い(反省会)となります。

お弔い

 地域の葬送行事に参列し、六斎念仏で故人を弔います。

 南無阿弥陀仏を奉じる六斎念仏本来の趣旨に沿う最も大事な活動です。

伝承念仏歌

 念仏の歌にも種類があり、壬生では以下の通り伝えています。

名称概要
発願(ほつがん)壬生六斎念仏講中と共通。
飛観音(ひかんのん)西国三十三所観音霊場の幾つかの札所の歌を繋いだもの。
節白舞(ふしはくまい)他力本願の重要を説き、十三仏を讃える。
終念仏(おわりねんぶつ)他の講で「焼香太鼓」と呼ばれるものと同じ内容。
その他伝承歌ほかに教本に掲載されている十三首。
結願(けちがん)壬生六斎念仏講中と共通。

 「発願」「結願」を除き、1つおおよそ1時間から掛かります。もっとも、途中を省略したり、逆に増やしたりも出来ますから、時によって所要時間は大きく増減します。ちなみに、壬生六斎(芸能)の「発願」も、昔を知る人は「もっと長かったはず」と言いますから、鉦講に伝わる節を以前は幾つか追加して奉納していたものと考えられます。

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