祇園ばやし(ぎおん ばやし)
概要
祇園会山鉾行事より取材した囃子です。本家の祇園囃子は締め太鼓を用いますが、六斎では六斎太鼓を使って演奏をします。すなわち、胴に取っ手の付いた金銀の鋲打ち太鼓を太鼓方2名が一人一つずつ自分で持って打ち鳴らすのです。手持ちの故、自然と太鼓の演奏中に振りが加わります。中盤以降は、とうとう舞台を巡りながら大いに踊りまわりさえします。このように、本家とは異なる思い切った舞台演出を施してあるのが、六斎流祇園ばやしです。
編成
役割 | 人数 | 立ち位置 | 備考 |
---|---|---|---|
金太鼓・銀太鼓 | 2名(各1名。交代可) | 中央に対面 | 中途から移動 |
鉦(原則4丁) | 各1名 | 中央奥 | 枠に四丁吊るす |
二丁吊り | 1名 | 鉦枠の横 | 省略可 |
笛 | 1名以上 | 上手か下手奥 | |
棒振り | 1名 | 中央手前 | 前半は踊り回る |
曲構成
祇園囃子とは複数の曲をつなげて演奏するものですが、壬生六斎では以下の曲順で行うことになっています。
(初飾⇒)からこ⇒つなぎ⇒しき⇒あさひ⇒しし⇒(おどり)ながし⇒つくし⇒(ぼう)ながし⇒あげおさめ
この順序は固定で、入れ替わることがありません。但し、持ち時間によって、前半を省略して「(おどり)ながし」や「つくし」から始めることはあります。
ちなみに、「祇園ばやし」という出し物は全ての芸能六斎講に存在しますが、始まりに「からこ」を持ってきているのは壬生六斎ならではの特色です。「からこ」というのは山鉾にとって神事奉納曲と位置づけられ、巡行においては御旅所前(ないし四条河原町)で演奏するのが習わしで、これ以後、囃子が一転賑やかになるのです。壬生六斎における編曲者には、この辺りに意図するものがあったのではないかと推察されます。
太鼓の踊り
金と銀の太鼓方は、「初飾」~「しし」まで、対面して打ちます。打ち方にある程度の振りはありますが、立ち位置は変わりません。
その後、 「(おどり)ながし」のせり上がりを経て、二名は舞台の上を時計回りに廻り出します。その際、一方が踊り、もう一方が拍子を刻みます。曲が一周すると、この役割を交代します。以降、この交代を繰り返してぐるぐる廻ります。六斎の祇園囃子では、この太鼓の踊り打ちが見せ場です。
その踊り打ちの後半で、棒振りが登場します。
棒振り(ぼうふり)
“棒振り”とは、タチツケ袴を履き、覆面をし、赤熊(しゃぐま)をかぶった扮装で、棒を持って踊りを行う者です。祇園会の傘鉾と関わりのあるものと伝えられます。
棒振りは、「つくし」(場合によっては「(おどり)ながし」)から登場し、太鼓の輪に加わって廻ります。その際には、棒を肩にかつぎ、扇子を持って踊ります。
続いて扇子を放し、棒を振り回して踊り廻ります。
最終的には正面に立ち止まり、棒の早回しを行います。このようにして棒振りは、厄除けをしているとされます。
以後、棒振りの演技と同時に囃子も「あげおさめ」で終了し、「祇園ばやし」は終幕となります。
傘鉾との関係
壬生の者が祇園会山鉾行事の二つの傘鉾に参加していたことは史料上明らかですが(「祇園会細記」ほか)、講中の古老らも、壬生六斎の「祇園ばやし」が傘鉾に由来するものであることを言い伝えておりました。
ちなみに、壬生に伝わるもう一つの郷土芸能の「壬生大念仏(壬生狂言)」にも“棒振”がありますが、こちらも傘鉾に由来するものである、というのが専ら巷説です(壬生大念仏講中の方の話)。もっとも、壬生狂言に笛の入ったのは近代に入ってからであり、囃子も棒振りも傘鉾で演じていた“棒振囃子(ぼうふりばやし)”とは一線を画する形で完成を見たものと解されます。
壬生六斎念仏講中は、現在も綾傘鉾(あやがさほこ)に棒振囃子を奉仕しております(別頁参照)。なお、棒振囃子の内容は、壬生六斎と綾傘鉾とで基本的には同じです。大きく異なるのは使用する太鼓、そして衣装です。また、綾傘鉾には棒振踊りの付かない囃子曲が多数あり、こちらの方は六斎の囃子では聞かれないものとなっております。